No Travel, No Life

旅の備忘録

【夏旅2010】第1日目 7/18  枕崎を出発します

本編スタート

旅に出たときは、決まって起きたい時間に目が覚める。5時になる前から床から出て、5時半にはホテル岩戸を出発した。昨夜は海岸沿いを歩いたとき、満天の星に魅了されて感嘆の声を挙げた。今度は早朝の海を見たいと思い、再び海岸へ出てみた。夕べは夜空に気をとられて気づかなかったが、小さな波除の堤があった。そこをよじ登ろうと手を掛けたら、何かゾロっと動いた。一瞬驚いたが、よく見るとフナムシの類であった。遠く、海上に先の尖った岩が見える。立神岩である。早朝の枕崎を歩いて駅まで向かう。昨夜は気づかなかった街並みに気づく。

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駅前には、かつての鹿児島交通の駅舎があった頃からある灯台のモニュメントがあるが、当時とはすっかり雰囲気が変わってしまった。駅舎のあったところはスーパーの駐車場となり、駅は南に100メートルほど移転した。その灯台のモニュメントがある場所はロータリーとなっていて、観光案内所や公衆トイレが設置されている。昨夜はここでバスを降りたのであった。そのロータリーの近くにタクシー会社の事務所があって、そこで最南端到達証明書を購入しておく。

JR枕崎駅は、ロータリーから南へ少し歩いたところにある。細長い路地を通っていく。アーチ型の看板に「枕崎駅」と表示があって、その向こうが真新しいコンクリートのプラットホームになっている。既に2両編成のディーゼルカーが停車していた。

運転士さんに西大山駅での停車時間を聞くと、「1分くらいあるから行ってきていいよ」と言ってくれる。安心して自分の席についた。

 

今回の旅で使う主たるきっぷは、片道の普通乗車券である。発駅は枕崎駅、着駅は稚内駅、経由は次の通りである。

 

指宿枕崎線鹿児島本線日豊本線肥薩線鹿児島本線、博多、新幹線、新山口山口線山陰本線木次線芸備線、広島、新幹線、岡山、山陽本線姫新線因美線山陰本線福知山線東海道本線湖西線北陸本線高山本線東海道本線米原、新幹線、掛川東海道本線東北本線両毛線上越線、越後湯沢、上越新幹線北陸新幹線信越本線上越線只見線磐越西線信越本線白新線羽越本線陸羽西線陸羽東線東北新幹線、一ノ関、東北本線北上線奥羽本線東能代五能線、川部、奥羽本線津軽線、海峡線、江差線函館本線長万部室蘭本線千歳線函館本線根室本線釧網本線石北本線、宗谷本線

有効期間は32日間である。経路数が16経路以上となるのでマルス(JRの乗車券類発券システム)では対応できず、出札補充券による発券となっている。

 

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6時10分、普通鹿児島中央行きは最南端の終着駅枕崎駅を出発、いや、今回ばかりは最南端の始発駅がふさわしい。2010年夏の旅が始まったのである。

指宿枕崎線は、その名の通り、鹿児島県の南西部に位置する薩摩半島東海岸沿いと、指宿から枕崎を南岸沿いに結ぶローカル線である。鹿児島中央・指宿間は比較的本数も多いが、指宿・枕崎(特に山川・枕崎)間の運行本数は少なく、最近では路線の存廃問題も取り沙汰されるほどである。専ら通学に使われている様子で、列車が進むに連れて、高校生らが各駅から乗車する。きょうも朝から夏晴れ。日が高くなるに連れて青空が濃くなっていく。車窓に映る棚田の緑も美しい。列車は、頴娃に到着した。下り列車との行き違いのため、数分停車する。僕はホームに出てみた。朝の空気が気持ちいい。普段は朝の空気なんて気にも留めなかったが、旅はそういったものを気づかせてくれる。

f:id:ps999earr:20180523142251j:plain頴娃駅にて停車中の普通鹿児島中央行き

f:id:ps999earr:20180523142254j:plain開聞岳が美しい。

次第に車窓に三角形をした山が映るようになった。開聞岳である。薩摩富士の異名を取るだけのことはあって、美しい円錐形をしている。指宿枕崎線開聞岳の北麓を東西に横切っていく。

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列車は薩摩川尻駅を出た。僕も運転室後ろへと移動する。列車が減速するや否や、自動放送のアナウンスがあって、西大山駅の到着を知らせた。西大山駅はJR最南端の駅である。ホームが一つだけの小さな無人駅だが、「JR最南端駅」といういわばプレミアが付いたことで、最近は訪れる観光客も多いという。僕は、運転士さんに断って、ホームへと出て、早速撮影する。この時間は観光客もなく、カメラを構えているのは僕くらいのもの。車内の高校生らは、さして珍しいものを見たという風でもなく、観光客がまた撮ってるというような感じなのだろう。

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西大山を出てしばらく走り、トンネルを抜けると、右手に海が見えてきた。以前にお世話になった「くり屋」の前を過ぎて山川駅に到着した。山川駅は、入江に沿って設置されており、北側は絶壁、目の前は道路を挟んで海という立地で、何とかして駅だけは置いたという感じがする。海から一番近い駅を標榜する駅は多々あれど、駅前の風景が、僕個人としては南の果てに来たのだという思いがする。

列車はさらに進む。砂蒸し風呂で有名な指宿に到着。まだ砂蒸し会館に行ったことはないので、いつかはいってみたいと思うがいつになるやら。指宿では、多くの学生がここで下車し、また乗ってくる。今日は日曜日であり、授業は休みである。部活動なのだろう。

宮ヶ浜辺りから海が見えてきた。薩摩今和泉、喜入など、海と付かず離れずといった具合に車窓には朝の海が映る。喜入を過ぎてしばらく走ると、右手に白い円柱形の巨大な人工物が密集して何本も建っているのが見えた。石油の備蓄基地である。

一方、車内は、薩摩今和泉、喜入など、各駅で乗客を乗せていき混雑してきた。指宿以北の各駅から乗ってくる客層は、学生以外の方が多かった。

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平川の手前辺りから、海の向こうに桜島がはっきりと見えた。海に浮かぶ桜島は昨日、フェリーの中で見たが、遠目に見るこの桜島もなかなか美しい。徐々に住宅の並びが車窓に移り、住宅街の中をいくと坂之上である。そこを出ると、列車は勾配を下るが、昨日も触れたとおり、ここからの桜島は美しいと思う。人工物たる市街地の建物を従える自然の雄大さを感じずにはいられないからだ。

列車は、終点の鹿児島中央駅に到着した。

鹿児島中央駅は、かつては西鹿児島駅という駅名であった。九州新幹線の開業を機に現在の駅名となった。

特急はやとの風に乗る

鹿児島中央からは、9時27分発の特急はやとの風2号に乗る。黒く塗装された車体はSLのようでもある。車内は件の水戸岡さんがデザインしたとあって、木を取り入れた座席や曲線を活かしたテーブルなどは、まさに観光列車である。

鹿児島駅を出ると、右手に錦江湾が見えだす。その向こうには桜島がその存在を示すようにして構えている。山頂付近から西へ向かって風が噴煙を流している様子が見て取れる。

隼人駅に到着する直前に、1号車へ向かう。隼人駅から積み込む駅弁「かれい川」を調達するためである。基本的には3日前までにJR九州みどりの窓口での予約となるのだか、関西住まいの僕はそういうわけにもいかない。日によっては個数限定で当日販売分の積み込みもすることを知っていたから、売り切れぬうちにと買い求めに行ったのである。隼人駅を出て肥薩線へと入る。程なくして、「かれい川」の販売が始まり、無事に確保することができた。

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「かれい川」は僕の好きな駅弁の1つである。おこわ風の炊き込みご飯にしいたけやたけのこがトッピングされ、揚げ物など数種のおかずが付く。中でもさつまいもや人参などの野菜をふんだんに使ったかき揚げ風の「ガネ」が嬉しい。朝食に「かれい川」とは贅沢である。早々にたいらげてしまった。

はやとの風2号は、その駅弁の名の由来となった嘉例川駅に到着した。数分停車するので駅舎の見学ができる。嘉例川駅は、明治時代に建てられた木造駅舎が何とも味わい深い。嘉例川は小雨が落ちていた。早々に列車へと戻る。

次に列車は霧島温泉駅に停車した。すっかり夏空が戻り、日差しもある。ホームではお茶の振る舞いや地元の特産の物販が催されている。僕は、霧島サンドを購入した。フランスパンにハムやトマトを挟んである。今すぐに食べたいところではあるが、さっき「かれい川」を食べたばかりなので、昼食とすることにした。お茶の振る舞いで一服する。

f:id:ps999earr:20180602140050j:imagef:id:ps999earr:20180602140033j:image大隅横川駅に到着した。こちらも嘉例川に負けず劣らずの歴史ある木造駅舎である。大隅横川でも5分ほど停車する。大隅横川駅では、機銃掃射を受けた柱を見ることができる。四角い柱を貫く穴が今でも残されている。また、鉄道趣味として書き留めておくと、下り線ホームには螺旋状をしたタブレット受けが残されている。タブレットとは、通行手形のようなもので、金属製の円盤状をしている。直接円盤を運転士に渡すわけではなく、輪っかの付いたタブレットホルダーに入れて受け渡しを行う。だから、タブレットというと輪っかのことを指すと思っている人もいるが、それ自体はタブレットではない。そして、タブレットを持つ列車のみがその区間を運行することができる。基本的には駅と駅の間に1タブレットだから、タブレットの受け渡しを駅で実施することになる。その受け渡し駅で停車する列車なら、停車中に受け渡しが可能だが、通過する列車をわざわざ停めるわけにはいかない。そこで、通過中の列車からタブレットを駅に渡せるように設置されたのがタブレット受けである。ちなみに、タブレットを駅から通過列車へ渡すための細長いシーソー状のものはタブレットキャッチャーという。

列車は栗野駅に着く。右手車窓に丸池湧水が一瞬見える。青い色をした透明度の高い池である。霧島山の湧水である。

栗野駅は、かつて旧山野線が分岐していた。その名残は駅舎側の1番線ホームくらいだが、現在1番線は使われておらず線路も撤去されている。

栗野を出るといよいよ終点の吉松である。

 

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しんぺい2号に乗って日本三大車窓

吉松から十数分の乗り継ぎでしんぺい2号に乗車する。しんぺい2号もまたJR九州の観光列車である。赤色の車両で、車内には木目調の床や椅子があって、やはり水戸岡式である。

しんぺい2号は満員の乗客を乗せて吉松を定刻通り出発した。今日は、晴れたり雨だったりと不安定な天気なので、アテンダントのお姉さんが僕の席の近くを通り掛かったときに、「三大車窓は見えましたか」と聞いてみたら、「ん~、おそらく見えるとは思うんですけど」と何やら自信のない様子。どこかで雨が降っていたのだろう。

肥薩線でも吉松と人吉の間は険しい山岳路線となっていて、急勾配を越えるための工夫がこの区間にはある。まずは、吉松の次の停車駅である真幸駅である。真幸駅は、肥薩線一の宮崎県にある駅である。ホームには幸せの鐘があって、僕も鳴らしておく。駅では地元の特産品が直売されていた。僕は、梅干しを買っておく。

 

真幸駅に到着した列車は、ここで進行方向を変えて出発する。少し走ったかと思うと、今度は駅でもないところで停車する。ブレーキハンドルを持った運転士さんが車内を通り抜ける。しばらくしてエンジン音が響くのだが、また進行方向を変えて進んでいく。これは急勾配を越えるための工夫の一つであるスイッチバックである。スイッチバックは、このようにして、ジグザグに徐々に高度を上げていくスイッチバックを◯段式スイッチバックと言ったりする。真幸駅の場合は、真幸駅が一段目、2回目の進行方向を変えたところが二段目、そして、登りきったところが三段目なので、このような形式のスイッチバックを「三段式スイッチバック」という。

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列車は、さらにエンジンを唸らせて、勾配を上がっていく。トンネルをいくつか抜けた先で、列車は速度を緩めた。そして、ついに停車をしてしまった。車内アナウンスで日本三大車窓の一つ、矢岳峠からの眺めについての案内があった。ここの景色は何度見ても飽きない。心配していた天気も何のその。峠から俯瞰して眺めるえびの市の田園地帯、えびの高原を擁する霧島連山、そして、車窓の右側にはうっすらと桜島も見えた。

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列車はさらに勾配を上って、峠の駅、矢岳駅に到着した。矢武駅でも数分停車する。その間に駅の敷地内にあるSL展示館に立ち寄る。「人吉市SL展示館」の文字が掲出されているので、ここが既に熊本県なのだと気づく。

 

矢岳駅を出発した列車は、今度は下り勾配を行く。あれだけ唸らせていたエンジン音がすっと聞こえなくなったかと思うと、さっきよりもスピードが増している。少し減速した頃、右手車窓が開けて遠くに駅が見えた。大畑駅である。短いトンネルを抜けると左側に大畑駅が見えたが、そのまま列車は進んで停車した。すると、また運転士さんがブレーキハンドルを持って後ろへと移動していく。少しすると、列車がバックし始めて、そのまま大畑駅に到着した。ここもまた、三段式スイッチバックであった。

大畑駅でも数分停車する。乗客らは撮影したりと忙しい。列車は、大畑駅を出発した。再び前進して終点の人吉を目指す。球磨川の鉄橋を渡って左へ大きくカーブすると、もう辺りは人吉の市街地であり、乗客らは下車の準備を始めていた。

人吉駅に到着してすぐに、駅の外に出る。駅の直ぐ側にある跨線橋を渡って駅の向こう側に出る。線路伝いに熊本方に向かって歩いた先に、人吉の機関庫があった。ここでは、しんぺい2号よりも幾らか早めに到着したSL人吉の機関車が転車台に乗せられて進行方向を変える。それを見学できるのである。

しかし、天気が良くなったは良いものの、照りつける日差しが肌を焼いていく。ましてや、SLの近くだと空気も熱されて暑い。くるっと回転するのを見届けるや否や、僕はすぐに人吉駅へ戻った。

f:id:ps999earr:20180602132628j:imagef:id:ps999earr:20180602132511j:image人吉駅からは、14時38分発の快速「SL人吉号」に乗る。さっき転車台まで見に行ったSLが先頭で、客車3両を連結して運行する。元は(実は今でもそうなのだが)50系という国鉄時代の末期に作られた客車で、それを改造したものである。改造とはいえ、ずいぶんと様変わりをしてしまっている。特に、前身の「SLあそBOY」時代から見ても、内装の変わりようは目を見張るものがあった。やはりここにも水戸岡デザインが存在する。

SL人吉は、熊本と人吉とを結ぶSL観光列車である。かつて豊肥本線で運行していたSLあそBOY号が、機関車の老朽化によって運行を取り止めたのだが、数年の後、修復した上で、運行区間および列車名を変えて現在に至る。JR九州唯一のSL列車である。

 僕は、一人旅なので、SL列車など観光列車に乗ると相席となることが多い。これが旅の楽しみでもあって、それまで見知らぬ人らとその場限りの出会いを楽しむのだ。ただ、今となってはどんな人だったか定かではない。まさに一期一会である。

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球磨川の少し濁った、それでいてグリーンに色づいた川の流れは美しい。青い空に白い雲、深い緑を湛えた山々が両脇に迫り、球磨川が映える姿に目を見張る。それほどにその存在が際立つ。肥薩線の人吉以北は間違いなく球磨川が主人公である。

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途中、白石駅で列車と行き違いのために停車。単線なので、対向列車が到着しないと進めない。ホームに降りて見ると、ベージュに朱色の帯を纏った国鉄カラーの車両が停車していた。運転席の窓の下辺りに「くまがわ」と書かれたヘッドマークが付けられていた。どうやら国鉄時代を懐かしんで企画された急行「くまがわ」号であった。

八代から鹿児島本線を北上する。新八代九州新幹線と交差して、一瞬都市の雰囲気を感じたのも束の間で、すぐに車窓には田園風景が広がる。地方都市はみんなそうであり、比較的大きな駅の周りだけが住宅街となる。

 白川を渡り、右手に熊本車両センターのヤードを眺めながら進むと、別の線路が近づいてきた。豊肥本線である。そして、その線路を走る列車に徐々に追い付いていく。黒っぽい色をしたディーゼルカーで「あそ1962号」であった。豊肥本線の観光列車である。そのあそ1962号とSL人吉号が並走する。すると、あそ1962号の乗客がこちらに手を振る。そして、それに応えるようにして僕らも手を振る。何という演出だろうか。SL人吉の旅の最後を締め括るに相応しいサプライズであった。
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熊本から一駅、大牟田行きの普通列車に乗って上熊本駅へ向かう。上熊本駅は趣のあった和風建築の駅舎が取り壊されて、仮設駅舎となっていた。上熊本に来たのは、久々に青ガエルに乗ってみたくなったからである。青ガエルとは、元東急5000系車両をいう。緑色をした丸みのある車体と、運転席のフロントガラスの形状がカエルの目のようで、それを比喩的に表現したものだ。かつては、列車の先頭車両を何かに喩えて愛称を付けることが多かった。名鉄3400系は「いもむし」、国鉄419系は「食パン」、最近ではJR700系が「カモノハシ」といった具合である。ちなみに、青ガエルと同系列の車両は、渋谷駅前に展示されている。

 

上熊本駅にいる青ガエルは熊本電気鉄道であるが、これは東急電鉄から譲り受けたもので、いわば中古品である。地方のローカルな民鉄では、このように都市部で使用された車両を改造の上引き続き利用するというケースが多い。地元の利用者からすれば新型車両なのだろうが、都市部で利用していた人らからすると逆に古めかしい車両となるわけだが、それが却って懐かしいという感情になることもあるという。

僕は、北熊本駅までを往復して再び上熊本駅まで戻ってきた。本編を再開する。

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上熊本駅から乗車したのは、特急有明28号門司港行きである。ガンメタリックの車体がいかにも斬新で近代的だが、こちらが登場してもう20年になろうとしている。が、全くと言っていいほどに色あせない。最近の新車といっても、素人目にはわからないだろう。今回、僕は1号車のDXグリーンを利用した。来年の春には運行がなくなるであろう有明号のDXグリーンに乗っておきたかったからという、何ともマニアらしい動機だ。

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列車は、北上して福岡をめざす。窓の外には沈む太陽の様子が見える。水平線の向こうに見える稜線が橙色に映えて美しい。やはり晴れた日の車窓は見ていて気持ちがいい。

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僕は、有明28号を二日市駅で降りて、徒歩で西鉄二日市へ向かう。また寄り道だが、こちらは、西鉄太宰府線を乗り残しているためである。西鉄二日市までの徒歩移動で、すっかり汗をかいてしまった。太宰府行きの電車は、一般的な車両であった。車内は寂しい限りで帰宅途中の勤め人や学生が多く、流石に今から太宰府へと向かう旅行者は僕くらいのものだった。大宰府に到着して西鉄全線完乗となった。駅前に出て参道の商店街を見に行ったが、シャッターが降りてしまっていて寂しい限りである。僕は、来た道を戻るようにして、JR二日市駅へと向かった。

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 二日市駅からは、本編へと戻る。20時33分発の特急ゆふ6号博多行きに乗る。元々はJR四国で走っていた車両で、さっき上熊本から乗った有明号の車両、787系が投入された頃に、JR九州JR四国より譲り受けた。主にJR九州の非電化区間の特急として運行している。エアコンの効いた車内で汗を拭いながら博多駅へと向かう。きょうは、一旦、博多駅できっぷの使用を中断する。鞄の中にきっぷをしまいこんで、僕は地下鉄博多駅へと向かう。

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f:id:ps999earr:20180602132553j:image博多からは20時53分発の普通西唐津行きに乗り、姪浜へ向かう。姪浜に向かったのは、ここからバスで地下鉄七隈線橋本駅へと向かうためであった。最長片道切符の旅をしてからというもの、可能な限り同じ区間を重複することなく進みたい気持ちが強くなってしまった。別に地下鉄くらいなら往復してもどうということはないのだが、可能であれば、一筆書きの要領であちこち回ってみたいという、これまたマニアらしい希望であった。かくして、姪浜南口から出る西鉄バスに乗り、橋本西バス停へと向かうのであった。

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橋本駅から地下鉄七隈線に乗る。都営大江戸線や大阪の長堀鶴見緑地線のような、車両が小さな地下鉄である。時計を見ると、10時であった。枕崎を出てから17時間あまり。そろそろ疲れも出てきていた。

終点の天神南駅七隈線を完乗したと同時に福岡市営地下鉄全線を完乗。

今夜の宿は、博多駅近くのホテル日航福岡だが、ここでも、天神から西鉄バスで最寄りまで向かうことにした。

 

きょうのまとめ

 枕崎→鹿児島中央→吉松→人吉→熊本→上熊本(→北熊本上熊本)→二日市(→西鉄二日市太宰府西鉄二日市→二日市)→博多(→姪浜→橋本→天神南→)